2020年の終わりに

 

2019年1月27日、あの日を忘れることはありません。

あの時の衝撃と目の前が真っ暗になっていくような絶望感。思考がぐるぐると高速で巡りながらも心は切り離されていくような、自分1人だけ真っ暗闇の中に置き去りにされていくような感覚。

 

ざわつくSNSを見ても、FC動画を見ても、何が起きているのか分からなかった。分かりたくなかった。

 

悪意の有無に関わらず、自分も飲み込めていない嵐の話題で溢れる世間に翻弄され辟易し、所詮”外野”に過ぎない人たちの無駄に大きな声に傷つき疲弊しきっていました。

 

「嵐の軌跡」などと謳い過去の映像を流しながら歴史を振り返るようなワイドショーも、大して関係ない人たち(言い方最悪でごめん)が知った顔して悲しいやら今までありがとうやらと喚くSNSも見ないようにしたし、私自身誰にもその話を振られたくなかった。

こちらの心情を慮って心配してくれる人たちの気持ちは有難かったけれど、それでも放っておいてくれと思いました。

 

( 正直な話ね、2020年後半あたりからのメディアの感傷的なムードにも耐えられなくなったし、昔嵐を好きだったと名乗る人たちが辛い寂しいと嘆く様子を見て、今もずっと嵐を好きな人たちとしんどさを一緒にするな...なんて他人の思いを丸ごと否定するような醜くて酷い感情を抱きかけたこともあったよ。ごめんな、一緒に泣きながら相談聞いてくれたお友達ありがとう。

ふと、張った糸がぷつっと切れたように涙が出てくることは今でもある。)

 

 

とにかく5人の声だけを聞きたかった。5人の言葉だけをすくい上げ、それだけを信じようと決めた。

 

 

そこからは割と冷静でした。

日常生活に支障が出たとか、精神的にめちゃくちゃ病んだとか、そんなことは特にありません。

 

でもたぶん衝撃すぎて実感が湧かなかったんだと思う。悲しいとか辛いとか何も分からなかった。ただ事実だけを頭の中で理解して心は全く追いついてないのに、分からないまま今まで来た。

 

ちょっと避けていたこともあったかもしれません。

嵐を見ているとすごく楽しいのにどこかで苦しくて、5人がいつも通りの何も変わらずに笑い合う姿を見れば見るほど切なくて。

 

 増員きっかけに気になり始めていたSnow Manに急速にハマっていったのもこの時期。無意識にどこかに縋りたい気持ちがあったのかもしれない。それは完全には否定できない。

だけど、嵐の代わりにしようだなんてそんな打算的な感情で彼らを応援するようになったのではありません。

他の何かでその穴を埋められるような、私にとっての嵐はそんな軽いものじゃないし、彼らが本当に魅力的だから好きになった。

 

今思えば、嵐のファンであることがもうずっとアイデンティティの1つであった自分にとって、

その当たり前が揺らいでいく恐怖からそこそこ感情の浮き沈みがあった毎日を、新たな刺激と幸せで包んで彩りを持たせてくれたのは彼らでもありました。

 

そうして心を何とか保ちながら、迫ってくる活動休止に対して必死に自分なりの答えを見つけようとしてきました。

 

私にとっての嵐ってなに?

ファンとしてどうするべき?

そもそも嵐ってなんなんだろう、

アイドルって、ジャニーズって.........色んなことを考えた。

 

そして

「2020年のケツ、12月31日の23時59分まで精一杯走り抜けます」 

そう宣言した彼らに私も精一杯ついて行こう。

嵐が与えてくれた2年間、一日一日を大切に過ごそう。

 

そう決意しました。

 

 

 

今年、3月30日のCDTV

あの日の5人のパフォーマンスのテーマは

 

「今、嵐にしか出来ないこと」

 

そのテーマが発表された時、安心感と誇らしさと嬉しさと寂しさと、色んな感情がごちゃ混ぜになりました。

 

メドレーの最初、One Love:Rebornのイントロが聴こえた瞬間、張り詰めていたものがふっとほどけていくような感覚。気付けばボロボロと涙が溢れていました。

 

世界に蔓延する未知のウイルス、今までと同じような生活は出来なくなって、様々なことが制限され、人にも会えず未来も見えずに誰もが不安でいっぱいの日々を過ごしている中での、この音楽番組。

 

こんな状況だからこそ、

「今の嵐に”しか”できないこと」

 

嵐にしか出来ないパフォーマンスがあること

嵐が歌い踊りメッセージを届けることで救われる人が大勢いること

それをどうしようもないほど痛感しました。

 

 

Love so sweetの歌詞を

「明けない夜はない。二重否定は強い肯定ですから」

SONGSでそう語ってくれていた翔くんを思い出した。必ず夜は明ける。ご時世的にも色々なことが重なり先の見えない不安の真っ只中にいた私にとって、何よりも力強く響く言葉でした。この歌詞に支えられた人は私だけじゃないはず。

 

メドレーの最後のHappinessで

「これが僕ら嵐にできることなんです。だから今日くらいはちょっと嫌なことはもう置いといてまだまだ歌いませんか」

 

そんなニノの言葉。

 

これってやっぱり嵐だから言える言葉だと思った。

嵐5人が歌って笑っている、その瞬間だけはどんな嫌なことも全部忘れてしまえる。元気になれる。

 

 

この2年間あっという間だったけれど、たくさんが詰まった、嵐からの愛を存分に感じた2年だった。


YouTubeチャンネルを初めSNSへの進出、サブスクの解禁、デジタルシングル配信や海外アーティストとのコラボ、終わりが見えているのにどんどん新しいことを始める。

やりたいこと挑戦したいことは尽きなくて、どこまでも自分たちのパフォーマンスやそれを発信する手段を突き詰める人たち。本当に休む気があるのかってくらい今まで以上にギアを上げて走り続けていた。

デビューして20年経ってもまだこんな新しい景色を、今までにないものを見せてくれるんだって衝撃だった。眩しくてカッコいい。

 

そして外だけじゃなく内に向けて、様々なコンテンツを発表して常にファンを大事に大事にしてくれた。嵐ジオにウィジェットにグッズ発売に、スワロフスキーや紙チケのプレゼント、嵐の日や、配信ライブに関わる新たな試み...などなど。

ファンをいつも1番に考えてくれる嵐。ああ私たち嵐にめちゃくちゃ愛されてる、嵐ファンって世界一幸せだ、なんて大袈裟じゃなくマジで思った。

 

ファンに誠実な5人、その実態はどこまでも優しい人たち、嵐本人たちが誰より嵐を大好きで。そんな姿が私達ファンも大好きで。

 

 

 

 

何もかもはっきり整理がついたわけではないけど、それでも自分の気持ちは多少まとまりました。

全てを受け入れて、受け入れられないことがあったらそれはそれで時間をかけて向き合おう

悲しむ分はとことん悲しんで、楽しむところは思いっきり楽しんで、行けるところまで全力で嵐についていくと。

 

そして、1番に思ったこと。

 

 

5人には絶対に幸せでいてほしい。

 

私の最大の願いです。

 

私は嵐に数え切れないほどの、もう言い表せないくらい本当にたくさんの、元気や幸せを貰いました。

嵐に助けられて、嵐のおかげで乗り越えられたことばっかり。

命救われたとか、大病を乗り越えたとか、そんな大層なエピソードはないけれど、

わたし、嵐がいたから、明日が来るのを嫌だと思ったことなかったよ。

何気なく繰り返す日常に、時に苦しく憂鬱な日々に、希望と刺激と楽しみと、ちょっとした勇気を与え続けてくれたのは紛れもなくこの5人。

 

だから、だからね、

私がとんでもなく幸せにしてもらった分、そんな私の大好きな5人には、絶対に、何がなんでも幸せになってもらわなきゃ困るんだ。

 

5人が決めた未来が、別々の道を歩くことなら、私は応援したい。めちゃくちゃ寂しくて悲しくて出来れば嫌だと駄々をこねたいけれど、5人には5人の人生をちゃんと良いものにしてほしいから。

5人が嵐になってよかったと、嵐でいた時間をずーっと大切に、大好きに抱えたままこの先も生きていってほしいから。

私が嵐への恩返しとして出来ることは、ただただ5人の幸せを願うことだけ。

 


 

嵐がいなければ今の私はいない。

月並みで薄っぺらい言葉に感じるかもしれないけどこれは本当にその通りです。


そりゃあ嵐と出会ってなくても適当に歳を重ねてそこそこ楽しく生きていたとは思う。

でも、嵐がいなければできなかったことや経験できなかったことがたくさんあるし、出会えなかった人がいることもまた事実。


「嵐のファン」でいるからこそ見ることが出来た景色、「嵐のファン」であるからこそ味うことが出来た感動、辛いことも悲しいことも嬉しいことも楽しいことも全部「嵐のファン」であるからこそ得られたものたち。


それらが今の私を形作っています。


嵐との出会いが無ければ、今頃私はどんな人生を送っていたんだろうか、想像もつきません。

 

でもね、もしあの時に嵐に出会っていなかったとしても絶対今この瞬間嵐のファンになってたな〜って、

嵐を見る度に思ってた。

今だから言えることだけど、どんな道を歩いても結局私は嵐のファンになってたんじゃないかなってそう思ったりする。


  

長くはない自分の人生を振り返ろうとすると5人の姿はそこに絶対に”いる”

 

嵐と共に過ごしてきた時間があまりにも長すぎた。

 


ああ、このお店でいつも嵐のCD予約してたな、帰ってすぐアラフェス再生するのがルーティンだったな、運動会で踊る曲9割嵐だったな、嵐の曲弾きたくてピアノめちゃくちゃ練習したし、カレーとかチョコとか冷凍餃子とか死ぬほど食べた 、そういえば家の家電製品日立ばっかりだな、塾の駐車場で当落確認したんだよな、受験前は例に習ってサクラ咲ケ聴きまくったな、あの子と仲良くなったのも嵐がきっかけだったな、、、

 

なんでもない日常を過ごしているだけでも色々な出来事が浮かんできます。

 

 

 

私ね、この先もずっと、ずーーーーーっと嵐が好きです。

休止して、嵐のいない生活なんて考えられないって言うけれど、私にとってもう嵐のいない生活なんかないんだよ。たぶん2021年過ぎても今までの嵐の番組死ぬほど見るしライブ映像も見る、曲だって聴く、テンション上がったら歌って踊っちゃうかも。で嘘みたいに嵐の話ペラペラ喋るよ絶対。きっと永遠に嵐のこと考えてる。


新しい5人の画は見られないかもしれないけれど、私の中にたくさんたくさんいる嵐はいつでも新鮮にカッコよくて、可愛くて、愛おしい。

 


活動休止、その発表で「永遠に変わらないものなんてない」という事実を痛いほど突きつけられた。

 

だけどそれと同時に変わらないものもあるということに気づくことができた。

 

今の私にとっての嵐って、かっこいい、仲がいい、優しい、曲やパフォーマンスがいい...って色んな感情をくれるけど、いちばん感じるのは”安心”なんだと思う。


ずっと変わらない安心感。

どれだけ幸せな時も、寂しい時も、楽しい時も辛い時も、彼らを好きになってからずっと見てきた聴き続けてきた。


パフォーマンスや音楽だけじゃなくて、彼らとの間にある私の思い出も。ずっと変わらない大切な宝物だから。

 

 

 

 

 

 

2020年12月31日。


正直めちゃくちゃ寂しいよ、嫌だ嫌だって思っちゃう。でもそんな気持ちにも正直にこの時間を過ごそうと思う。


仕方ないじゃん。だって嵐が大好きだから。

 

今までもこれからもそれだけはずっと揺るがないから。

 

 

 

世界でいちばん好きな5人。 


みんなに、どうか、この上ない幸せがこれからもずっと降り注ぎますように。